
2001年5月の遺跡めぐり - 千葉山・園生貝塚周辺を歩く
◇ 2001/5/13に、千葉山・園生貝塚周辺の見学会が行なわれました。
【コ ー ス】 千葉山 ⇒ 園生市民の森遺跡 ⇒ 勝田田遺跡 ⇒ 園生貝塚 【集合場所】 千葉都市モノレール・ スポーツセンター駅 【参 加 費】 200円(資料代、保険代) 【主 催】 千葉市の遺跡を歩く会 |
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左:千葉都市モノレール、スポーツセンター駅です。 右:5/13、10:00に午前の部、30数人が集まりました。 |
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左:国道16号線を渡り、千葉山(ちばやま)へ。 右:千葉山は星宮塚墳墓群とも呼ばれ、千葉氏の墓所だったと伝えられています。5基の塚が現存しています。参加者が見ている説明板(*)のすぐ後ろに、塚が1基あります。千葉氏の歴史を考える上で、重要な場所です。 * : 千葉市教育委員会が、市内の主な遺跡に説明板を設置しています。 |
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左:園生市民の森です。「園生市民の森」の看板が2つありますが、東の看板の後ろには塚が、西の看板の後ろには遺跡があります。 右:園生市民の森にある塚です。鎌倉時代のものと思われます。 |
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左:園生市民の森遺跡です。調査は充分に行なわれていません。森の中の散歩道を、地面を見ながら歩くと縄文式土器の破片がけっこう落ちています。 右:勝田田遺跡。縄文後期の遺跡。 |
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左:園生貝塚を小中台川支流が作る園生支谷から見る。 右:園生貝塚に上る小路の切り通し部分で地層を見る。何種類かのローム層と黒土の層が見られる。 |
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左:園生貝塚がある林に入って行く。木立の間を清々しい風が渡っています。 右:説明板の前。ここから散歩道を歩き始めると、小高い地形になり、そこが貝層であることがわかる。最近(**)掘られた浅井戸が散歩道にある。地下水位が浅いことを示している。 ** : 1980年代末の”迷路”ブームの時に貝塚の北に迷路が作られた |
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左:貝層で貝を観察。 右:園生貝塚は沖アサリが多い。沖アサリの生息地はハマグリと同様な環境。 縄文後期の海岸線は、現在の京成稲毛駅付近に入り江があり、園生から支谷を流れる小川を丸木舟で下り、海に出て貝を採取したものと思われる。 |
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左:園生貝塚は、明治時代から知られている遺跡です。しかし、興味をそそわれる出土品がないため、関心がよされませんでした。しかし、貝塚生成の基本、集落との関連、貝層の意味など重要な大型貝塚であります。解散に当たって、質疑応答がありました。 右:エゴの木の花が咲いていました。 |
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![]() 出典:2000年発行「千葉県史」 |
左図:小中台川(汐田川)を上流に向かうと、稲毛谷が園生支谷と宮野木支谷に分岐する。園生支谷の奥部に園生貝塚が存在する。標高25〜27m、比高約13mの箱型台地上に存在する。現在では、国道16号と京葉道路が交差する穴川ICの南西にあたる。当該台地には窪地地形が見られ、丘部に貝層が形成されたと推測される。窪地には宙水が存在したことが想像される。 右図:貝層の規模は、南北135m、東西110m、幅25〜30mであり、北に開口部を持つ馬蹄形貝塚である。 縄文後期に形成された貝塚である。少なくとも115軒の住居址が存在し、その多くは縄文後期に作られた。 貝塚が存在する台地の裾からは湧水があり、縄文時代に飲料用水として使用されたことが想像される。 |
![]() 出典:2000年発行「千葉県史」 |
今回の歩く回には、午前の部、午後の部あわせて、60数人の参加者がありました。そのうち、夫婦で参加されたのが、7〜8組ありました。50〜60才代の方たちと思われます。夫婦で、いろいろなことを学ぼうとされている方々がおられます。 インターネットで「歩く会」があることを知り、東京から参加した人もいました。
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| 「千葉市の遺跡を歩く会」 ここをクリックすると「歩く会」のHPにリンクします。 |