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2002年1月歩く会 - みつわ台周辺廿五里南北貝塚、東寺山貝塚

◇2002年1月27日に 「みつわ台周辺を歩く会」 が行われました。       地図はこちらです

【日  時】  1月27日(日) 9:30〜12:00
【集合場所】 千葉都市モノレール みつわ台駅 改札口
【コ ー ス】  大塚古墳 ⇒ 東寺山貝塚 ⇒ 東寺山南貝塚 ⇒ 廿五里(つうへいじ)支谷 ⇒
          ⇒ (廿五里城址) ⇒廿五里南貝塚 ⇒ 廿五里北貝塚 ⇒ 殿山陶芸研究会

【主  催】   千葉市の遺跡を歩く会

【参加人数】  24名

小輩は廿五里城址入口からショートカットコースをとったため、廿五里城址西部の画像がありません。「千葉市の遺跡を歩く会」のHPをご参照ください。




左 : モノレール駅 「みつわ台」 で集合、コースの説明。

右 : 駅を出てすぐのところに 大塚古墳。いろいろな遺跡が工夫されて住宅街の中に残っています。
左 : 東寺山貝塚はみつわ台第一公園として保存されています。北から公園に入った所の光景です。葭川本谷に面した西の斜面に貝層が見られます。葉が見える木はマテバシイです。現在の千葉市の貝塚付近にはマテバシイの木がよくあります。ここから3km位の所にある加曽利貝塚公園の植生は、花粉分析に則り、縄文中期〜後期の植生を再現するように木が植えられていますが、マテバシイが多くあります。縄文人は堅果類を石皿とすり石で粉にして、アクが強い場合は晒してからクッキーなどにして食べました。千葉市の縄文人は、人骨のコラーゲン分析から、植物と動物と魚介類を1/3ずつ食べていたことがわかっています。バランスのいい食事をしていたようです。カシ類のドングリはクヌギのような落葉樹のドングリに比べてアクが少なく、収穫が天候に左右される程度が少なく安定しています。このマテバシイが千葉市にあったことが、縄文中期から後期に千葉市が栄えたもとになったかもしれません。堅果類はカラが残るため、食べていたことがわかりますが、イモ類も食べていたと思います。イモとして、ヤマノイモ、彼岸花/ユリの鱗茎、ウラシマ草を考えています。前3者は縄文中期の新潟県の遺跡で多量の花粉が見つかっています。

右 : 公園南にある遺跡の説明板。東寺山貝塚からはクジラの骨が発掘されました。縄文時代に東京湾の浜にに打ち上げられたクジラの情報を多くのムラに流し、分け合って食べたようです。東寺山の住民がクジラの骨を1つ持ち帰り、仕事をする台に使いました。クジラの猟をしていたと言う人もいますが、小輩は ? です。イルカ猟をしていたのは、石川県真脇遺跡で大量のイルカの骨が出土したころから明らかです。イルカは頭のいい動物で、数年前イルカが漁場を荒らすのを防ぐために自衛隊が追い払おうとしましたが、時間がかかったという事件がありました。そんなイルカを捕獲する技術を縄文人は持っていました。
左 : 公園に隣接する鹿島神宮に厚い貝層が見られます。

右 : 貝層の中には「ハイガイ」が見られます。ハイガイは暖かい海に育つ貝で、千葉市では縄文前期に生育していました。出土する土器破片の調査からも縄文前期から東寺山に集落があったことがわかっています。須恵器も出土することから、東寺山遺跡(貝塚)は縄文前期〜平安時代の遺跡と言うことができます。東寺山の地は何千年も人が住みやすい土地であったことがわかります。この貝層の中で最も数が多いのはイボキサゴと言う2cm位の巻貝です。食べにくい貝です。採ってきたイボキサゴを水で洗うことなく、そのまま煮ることによって、旨みと塩分を料理に付与したと思います。物を徹底的に食べて、骨を道具にするなどリサイクル精神に富んだ縄文人は、煮たあとでイボキサゴの身をほじくりだして食べたと想像します。
左 : 東寺山貝塚で出土したクジラの脊椎骨です。加曽利貝塚博物館に展示されています。

右 : 東寺山南貝塚を通って、廿五里支谷へ。縄文時代の人もこの坂を下って、小川まで行き、丸木舟に乗って海に行ったと思います。東寺山貝塚や、廿五里南北貝塚がある下総台地から、谷地まで下りる途中に湧き水があったと思います。湧き水が多量にあったことも、縄文時代に千葉市の人口密度他日本一だった理由と考えられます。
左 : 廿五里支谷です。ここより上流は小川が暗渠になっています。

右 : 細い小川が流れています。縄文時代、森林が下総台地に広がり、保水量が大きいため、川の水量は多かったと想像されます。その川に丸木舟を浮かべ、海まで魚介類を採取に行ったと想像されます。縄文中期、縄文後期の海岸線は県庁からパルコ、中央公園にあったとされています。千葉市の浜で各集落が貝を採取するテリトリーは決まっていたようです。冴えたる所は、汽水域です。矢作貝塚はヤマトシジミが多い貝塚です。矢作貝塚の集落が貝を採取する場所はヤマトシジミが生息する汽水域でした(廿五里北貝塚でカキの貝殻を拾った人がいたので、汽水域の貝の話をしました)。
現在、千葉市を流れる川は死んでいます。確かに浄化は進んでいます。が、森林の腐葉土の中で生育しているバクテリアが作った栄養分と水が川を通して海に流れて海の生物を育てます。「森と海の環境が一体になってこそ川は生きている」と言うことができます。山の神を敬い、自然と語り合って暮らしたいにしえの人間の心を持ちたいと思います(ぎすぎすしてはだめですが)。
左、右 : 廿五里(つうへいじ)南貝塚(縄文中期)。市民農園で貝層が見られます。土器の破片が多く見られ、幸運であれば、石器を見ることができます。
廿五里南貝塚では炉がない住居跡が発掘されました(1976年千葉市史)。倉庫として使われたのではないかと書かれていますが、縄文早期の住居に炉がなかったことを想起させられます。縄文早期の料理は毎日戸外でバーベキューだったんですよ。「炉穴」と言って、かまどのようなものを作って、煮炊きをしたり、燻製を作っていたようです。もしかすると、廿五里南貝塚の人に、バーベキューが好きな人がいたのかもしれません。
左 : 廿五里北貝塚。左の画像の地点は土器塚があったところです。今でも多くの土器破片が見られますが、舗装道路を敷設する際に除去さsれたようです。この貝塚は、出土する石器の数が少ない貝塚です。廿五里南貝塚と同じ、縄文中期〜縄文後期の貝塚ですが、集落の性格が異なっていたと思われます。
左右 : 殿山ガーデンの一画にある「殿山陶芸研究会」です。
     味のある焼き物を作成しています。


【参 考】 殿山陶芸研究会
 趣 旨: 会員相互の親睦と融和のもと、楽しく作陶する
 会 費: 入会金=1万円
       月 額=1万円(月4回コース)、 1万5千円(月8回コース)
       火、水、土 の 9:30〜16:30 時間・曜日の選択・振替は可
 諸経費: 粘 土=100円/kg (5kg 単位)
       焼成代は大きさに応じて
 詳 細:  〒264-0035 千葉市若葉区東寺山 9
        TEL/FAX 043-251-3426
        殿山(とのやま)陶芸研究会
左 : 作品を陳列している部屋もあります。

右 : 陶器の乾燥工程のもの、絵付けをする前の作品が焼成を待っています。焼成はガス炉や電気炉で行いますが、年に一度、窯で焼成するそうです(近くの住民に迷惑がかかるため)。
左右 :のぼり 窯です。段数が二段という小型の窯です。まきは高温になることから、赤松を使うとのことです(完全に燃焼し、燃えきらない熾きが残りにくいために、焼成に適していると言われています)。
本来の焼き方は、
@.成型     A.乾燥     B.700〜800℃で素焼
C.絵付け、ウワグスリを塗工   D.窯入れ     
E.徐々に登温し1200〜1250℃で焼成   F.ゆっくりと降温
成型に湿度が影響を及ぼします。高湿の時は形が保てないことがあり、低湿の時は乾燥して成型しづらい。湿度を適度に保つため、成型室は土間です。

左右 : 廿五里城址。殿山ガーデンの中にあります。
左 : 殿山ガーデンから出たところに、梅の木がありました。12:00ころ、突風が吹いた時に梅の香りが漂っていました。

右 : 殿山ガーデンの梅。 春です。
  内容の詳細は、「千葉市の遺跡を歩く会」のHPに掲載されます。
  「千葉市の遺跡を歩く会」
ここをクリックすると「歩く会」のHPにリンします。

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左右 : 殿山ガーデンの食事は左の受付で注文し、右のような茅葺の離れで食事をします。
ランチは¥1200(消費税¥60)。この値段で個室で食事をできるのは割安です。
左右 : 同上。牛肉の焼肉の他、スズメ、ウズラ、ニワトリ、魚介類などのメニューがあります。

左右 : 殿山ガーデンには乗馬クラブがあります。千葉県で最も古い歴史を持つ乗馬クラブだそうです。

















   地図

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