2002年7月 - 犢橋貝塚付近を歩く −
◇2002年7月21日に犢橋(こてはし)貝塚から検見川地区を歩きました 地図はこちらです
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さつきが丘団地にある犢橋貝塚 |
こてはし貝塚(縄文後期)
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犢橋貝塚 貝層分布図先導谷(せんどうこく)に類似する地形 |
先導谷![]() |
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| 1964年「馬蹄形集落論」に基づき、千葉大学によって犢橋貝塚貝層付近の調査が行われましたが、馬蹄形貝層中心部に住居跡はなく、近辺にも見つかりませんでした。 加曽利北貝塚について、貝塚付近の住居分布が調査されています。貝塚形成初期は貝層部分に住居が作られ、住居のそばに点状貝塚が作られています。貝塚の形成が進むと、貝塚から離れた場所に住居が分布します。この場合も貝塚中心部分では住居跡は見つかっていません。 犢橋貝塚の場合、貝層下部の地層調査は行われていませんが、多分、加曽利北貝塚と同様。貝層部分に住居を建て、その住居近くに点状貝塚を作ったのが貝塚の始まりと考えられます。先導谷の小高い所を一番住みやすい場所と縄文人は考えたのでしょう。 このことから、貝層の中心部は、水がたまりやすく、住みにくい場所と考えられます。よく、貝塚の中心部は葬式を含む祭りや集会に使われたと言われていますが、単に住みにくい場所だから遺構が何もないと考えます。小輩は、縄文人についてわからないことがある場合に、祭祀などに結びつけるのは安易であると思っています。 |
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| 犢橋貝塚の近くにトチの木の街路樹がありました。実がなっています。トチの木は寒冷地の植物です。気候が合わないため、実がなっているのは10本に1本くらいです。縄文人はトチの実のアクを抜いて食料にする技術を持っていました。 | 犢橋貝塚の北西部分では貝層がよく観察できます。 | 犢橋貝塚説明板。 |
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| 犢橋貝塚は北東部に開口部がある馬蹄型貝塚です。貝塚の上に立つと、北東部が低くなる地形であることが判ります。北東の開口部は貝層がないのにやや高くなっていて、貝塚の中心部が窪んでいることがわかります。 現在、開口部の向こうは埋められていますが、1968年以前は谷でした。その谷には湧き水があり、花見川から海に繋がる小川がありました。 |
犢橋貝塚で出土した土器です。少し変わった形をしているので、一時的に「犢橋式土器」と呼ばれたこともあります。 | |
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鶴牧遺跡(縄文早期)
縄文早期は戸外で料理をしました。そお料理をしたのが炉穴です。つまり、毎日バーベキューをしていたわけです。炉穴で燻製を作ったこともあるようです。魚や鹿の肉の燻製はおいしいですよ。縄文人は意外とおいしいものを食べていました。梅雨が7/20にあけましたが、雨が降り続くと、戸外で料理ができないじゃないか と心配になりませんか?市川博物館の研究によると、屋根付の炉穴もあったようです。 鶴牧遺跡のほうから「おーい、バーベキューを始めるぞー」という縄文人の声が聞こえませんか。 |
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![]() 落合遺跡(縄文後期)
落合遺跡にある大賀ハスの実出土地に石碑があります。その石碑に標高 6mと書かれています。よく、縄文時代は暖かく、海岸線は貝塚がある台地の下の谷まで達していたと言われますが、ウソです。貝塚は海岸線にあったという学説は戦前の学説です。縄文時代で最も温暖だったのは 6500年前ころで、2〜3℃暖かく、水位は3〜4m高かったと言われています。縄文後期の気温は現在とほぼ同じで、海岸線も新検見川の場合、台地がせり出している地形のところでは国道14号線付近にあったと思われます。 落合遺跡には沼があったと思われます。縄文時代には中谷遺跡や鶴牧遺跡のある下総台地には広大な照葉樹林がありました。落合遺跡から台地を見渡して、うっそうとした森があることを想像しましょう。その森のおかげで、水は徐々に地層にしみこみ、粘土層から湧き水になります。落合遺跡では、沼になり、小川が大賀ハス記念碑がある方向に流れ、花見川区役所のそばを通り、花見川に合流し、東京湾に流れます。中谷遺跡に住んでいた縄文人は、川を通って、魚介類を獲りに行きました。 当時、東京湾にはタイがいました。縄文人が食べたタイは50cmのものはざらでした。フグも食べています。フグのどこに毒があるかを縄文人は知っていました。埼玉だったか群馬だったかの遺跡でフグの骨が多量に出土した例があります。グルメな縄文人もいました。 館山まで航海して、イモガイを拾い、腕輪を作った例もあります。愛する人のためにわざわざ館山まで航海した縄文人もいました。 千葉市には石がありません。ヤジリにする黒曜石を伊豆七島の式根島に取りに行きました。もしかすると、千葉県西部のムラにヤジリを作り、ヤジリを売り歩いた所があったかもしれません。 |
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| 落合遺跡は検見川グランドの谷地にあります。 | 鶴牧遺跡から落合遺跡を見る。 | グランドから管理棟まで登り終了 |
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左 :東大総合運動場の西端にある 大賀ハス記念碑 右 : 大賀ハス |
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大賀ハス(おおがはす)
美しい歴史には書かれない本当の歴史? |
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| 新川が印旛沼に繋がる阿宗橋付近 | ゆらゆら橋の北 | |
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| ゆらゆら橋 | 村上橋。水量が多い。阿宗橋まで水面は同じ高さ。 | 大和田排水機場の南。ここから南が花見川。南側は水深が淡い。 |
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| 弁天橋の北 | 京成成田線橋付近。物音で飛び立つカモ | 京成成田線橋付近 |
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| 柏井橋付近 | 花島公園付近。花島橋付近は両岸に小高い丘があり、掘削されたであろうと想像される。町名は柏井。サイクリングコースの切り通しにごく少量のハマグリやカキの貝殻が見られる。 | 天戸制水門。比高は1m以下。大和橋の水門で排水されていないのに、水が流れている。湧水や生活排水が花見川に流れ込んでいる。 |
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| 天戸大橋 | 亥鼻橋付近 | 長作制水門 |
花見川
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