2002年9月 - 亥鼻台周辺の遺跡を歩く

◇2002年9月16日に亥鼻台遺跡、矢作貝塚を歩きました       地図はこちらです

【日  時】  9月16日(月、祝日) 10:00 〜 12:30
【主  催】 千葉市の遺跡を歩く会
【コース】  猪鼻城郷土博物館(集合) → 猪鼻城近辺 → 七天王塚 → 矢作貝塚(解散)

註 : 字名(地名)は「亥鼻」と書かれ、城は「猪鼻城」と書かれています。

「JR千葉駅」から「千葉大学病院」行きバスに乗り、「郷土館」で降りると、T字交差点からこのような光景が見えます。

9/7、交差点にムクゲが咲いていました。お城の建物が郷土博物館です。

1.猪鼻城(千葉城)は関東平家の一派である千葉重常、常胤父子が1126年に土気 大椎城から移動してきてから栄えたと言われています(異説もあります)。
2.最近、猪鼻城の遺構が亥鼻台地で次々と発掘されており、千葉の中世の姿が明らかになりつつあります。
3.2002/8/5、8/8に、亥鼻台地・千葉大医学部敷地内の前方後円墳の発掘調査結果の説明会が行われ、古墳後期(7〜8世紀)の亥鼻台地の歴史が注目され始めました。
4.北斗七星を信仰の象徴とする妙見信仰に関連すると考えられている7天王塚は中世以前の遺跡とも考えられています。
5.亥鼻台地の東には矢作貝塚があります。都川給水塔が戦前に建設(昭和12年)され、充分な調査が行われないまま破壊された遺跡ですが、以下の特徴を持つ縄文後期(4000〜3000年前)の貝塚です。


茶色の字はワイワイグッチが矢作貝塚の特徴と考えている事項などです


詳しくは「歩く会」のホームページにリンク

左 : 9/16、10:00、郷土博物館(猪鼻城址)の前で集合。コースの説明。

右 : 亥鼻台地遺跡の説明。
  • 猪鼻城は要害の地にあるが防御能力が低い山城。
    攻防戦が行われた時は他の城に移動した。
  • 古墳時代から中世の遺物が発掘されている。
  • 千葉市の中では弥生時代の遺跡が多く存在する。
  • 「亥鼻貝塚」が存在したとの話しがあるが、確認されていない。後世の造成によって消滅したか、中世以降の小規模貝塚だったかもしれない。
猪鼻城址土塁 : 郷土博物館の北、数十m 猪鼻城址付近には土師器、須恵器の破片が散布している。須恵器は東海地方の強い影響を受けている。
猪鼻城のすぐ南の発掘調査地にはいろいろな時代の焼き物やイボキサゴ、ハマグリなどの貝殻が散布しています。
郷土博物館から千葉大医学部構内へ。 千葉大医学部構内からの猪鼻城 百日紅の花が歩く人の心をなごませます。
七天王塚 その1 前方後円墳の石室が掘り出され、北約100mの所に置かれています。
大学のヒューモアある立看です 七天王塚 その2
七天王塚 その3 都川流域谷地を眺める
都川給水塔(矢作貝塚)、貝層はイボキサゴが80%以上の千葉市型貝塚ですが。ヤマトシジミが比較的多い縄文後期の貝塚です。
給水塔南西で矢作貝塚の説明。 夏場は野草が多く、見づらいですが、冬場になると貝層がよく見れます。
矢作貝塚から千葉大学付属病院のバス停まで、ご老輩と、Tさんと、Mさんとで歩く道すがら、カラムシやキクイモ、葛、マテバシイが話題になりました。
小輩が、矢作貝塚のはずれに生えているカラムシを見て、「カラムシ」は縄文時代に生えていた野草だと思っていたら、現在も千葉市の貝塚の谷地の斜面にはよく生えていますね。」と言ったことから、話しが始まりました。
カラムシ(苧)は、マオ、クサマオ、アオソ、苧麻(ちょま)とも言います。「古代に布を作る繊維として使われた。」と書いている辞書がありますが、これはウソです。本ばかり読んでいる学者さんの知識です。縄文時代に使われ、万葉集に詠まれていることは事実ですが、今でも繊維として使われています。
Tさん いわく、「1着2万円のカラムシ製のワイシャツが売られているし、丈夫さを要求されるブルゾンなどにはカラムシが使用されている。」。ご老輩 いわく、「戦時中は防災頭巾にカラムシが使われた。」。Tさん いわく、「動員されてカラムシを刈らされた。軍人用の毛布にカラムシが使われた。」 。みなさん、本当の歴史を知っています。越前ちじみにもカラムシが使用されています。これらの会話の内容が、生きている歴史だな と感じます。
 ワイワイグッチいわく、「本ばかり読んでいても本当のことは判らないよ〜。歩いて、いろんな話しをすると、キラっと光るものに遭えますよ〜。」
キクイモの花が咲いていました。根にはイモがあり、焼いたり蒸したりして食べます。小輩の世田谷の実家のそばには「春の小川はさらさら行くよ〜」で有名な旧玉川上水が流れており、その岸にキクイモが生えていました。キクイモやザリガニを食べる人がいました。
左 : 今年は木の実が豊作です。千葉大学医学部キャンバスにはマテバシイがたくさん落ちていました。マテバシイを焼いたり、クッキーにして食べる方法を話しました。詳しくは飛ノ台史跡公園博物館のページ参照。
縄文時代の食材は歩く道のまわりにたくさんあります。MさんとTさんはマテバシイをたくさん拾って帰るとのことでした。
Tさんがメールで、ひろって帰り、チンしてから殻を割って食べたと知らせてくれました。 加熱する時、爆発すると危ないので、殻に切込みを入れたのことです。味は、すごくおいしいとは言えない程度とのこと。陽に当てて乾かすと少しましになりますよ〜。


右 : 葛(くず)の芽を春先に食べること。葛からデンプンを作ることを話しました。

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今回は歩きませんでしたが、千葉県立中央博物館がある青葉の森公園には古墳時代の遺跡や東金街道古道があります。

荒久古墳 荒久古墳から西を眺める
  • 亥鼻台地の南約1km、青葉の森公園に荒久古墳があります。古墳時代後期8世紀の一辺約20mの方墳です。きわめて短い羨道と長さ約210cm、幅120〜140cmの玄室からなります。石材はすべて凝灰質性砂岩。玄室の天井は6枚の巨石を横にわたしています。富津以南の石材を切り出し、舟で運搬して使用したと想像されますが、石材の科学分析は行われていません。文献を見ると、凝灰岩の外見を長文で書いてあるだけで ?マーク。
  • 荒久古墳の北東約300mに古墳時代の荒久遺跡、南約300mに地蔵山遺跡と鷲谷津遺跡があります。古墳時代の歴史があります。



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