2003年5月 - 多部田(たべた)を歩く -

◇2003年5月5日に若葉区多部田地域を歩きました。       地図はこちらです

工事中です

【日  時】  5月5日(月) 9:30 〜 12:30
【主  催】 千葉市の遺跡を歩く会
【コース】 〔平和公園入口・多部田橋、集合〕 → 内野古墳群 → 多部田貝塚 → (ウナラスズ遺跡) → 多部田城址 → 〔最福寺、解散〕

 多部田貝塚は縄文後期(4000〜3000年前)に東京湾の海岸線から10qほど離れた都川上流に形成された大型貝塚です。科学的調査が充分に行われていなかった時期には、さらに都川を遡った所にある誉田高田貝塚とともに、千葉市の大型貝塚が接する谷地への海進が議論されました。しかし、千葉市各地域の地層調査が進み、千葉市が最も栄えた縄文時代中期〜後期の海岸線は国道14号線がその下を走る海岸段丘〜千葉中央公園〜県庁を結ぶ線上にあったことがはっきりしました。そこで、縄文中期〜後期の人は丸木舟で都川を通って海で漁撈を行っていたと考えられました。最近、貝塚の貝種の研究から、多部田貝塚の貝種は村田川水系に似ていると指摘されています。貝塚を見ることは、縄文時代の人がどのような暮らしをしていたか、考えさせてくれます。

  1. 多部田貝塚(縄文早期〜晩期)
  2. 貝種の割合
    2/23の「歩く会」で平山地区の貝塚を見学しました。その際に、菱名貝塚、台畑貝塚、築地台貝塚の貝は,村田川河口の海で採取されたものが最近の研究であることがわかってきたと紹介しましたが。多部田貝塚の貝種も平山地区の貝塚と同様な構成であることがわかります。
    縄文時代の多部田貝塚の暮らしが、村田川にかかわりがあった可能性もあります。

    参考・縄文中・後期貝塚の貝種組成比較 (都川水系:村田川水系)

    イボキサゴが最多であることは共通
     都川水系:   ハマグリは二枚貝の半分以下,シオフキよりアサリが多い
     村田川水系: ハマグリは二枚貝の半分以上,アサリよりシオフキが多い

左: 多部田橋から見た都川です・

右: 多部田川で集合・
左: 内野古墳群の前方後円墳に向かいます。平和公園入口から平和公園の外を歩きます。

右: 高圧線鉄塔の隣に前方後円墳があります。
左: 前方後円墳を歩いてみます。平和公園周辺には、縄文時代から平和時代にかけて集落があったことがわかっています。例えばうならすず遺跡です。そのような集落の人たちが古墳を作ったと思われます。

右: 前方後円墳は千葉市によって木が伐採され、草刈が行われて、自由に見学できるようになっています。
左: 円墳に向かいます。円墳が幾つかあります。

右: ウラシマソウが生えています。
左: 円墳から都川の谷津をみます。

右: 平和公園の中にある円墳を見学します。公園事務室の南に幾つか円墳があります。
左: 円墳の周りに「ギンラン」が咲いています。

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左: 多部田城址本丸近くに「妙見様」というホコラがあります。

右: 「明見様」と書かれていますが、「妙見様」のことです。
左: 本丸付近を進みます。

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詳細は 「歩く会」のホームページ を参照してください

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